五、正六の薬師様(しょうろくのやくしさま)

正六は倉賀野の町から取り残された様に、町続きを離れて純朴な村人によって平和な生活が続けられております。
 この正六にお堂があって、そこに東面して一つの薬師堂があります。今は荒れ果てて堂守さえおらず、村の子供達の遊び場所となっております。この薬師様が近郷近在はおろか、遠く他国の人々の信仰を集めていた薬師様だと誰が想像出来ましょう。この薬師様は眼病に御霊験をうたわれたのです。ことに一升団子を上げて願かけする時は限って御利益があり、失明の悲しみに嘆く人々にさえ救いの光明を与えるというのです。評判は評判を生んでその盛り振りは実に大したものでした。ことに寛政の頃には他の神社仏閣にも比類ない有様でした。
 子に導かれる老人、親に連れられた子供、杖を頼りに歩む足どりもおぼつかなげな、見るも痛々しい参詣人は次から次と引きも切らず、ことに月の八日と十二日は願かけ日としてひときわの人出でした。
 この評判を聞きつけて、ふとした欲心から悪心を起したのが武州方面のある人でした。この評判と人足を自分の土地に移し、それを利用して金儲けをしようと企らんだのでしょう。
 それには薬師様のご本尊如来様を盗み出さなければならないと、ある夜の事密かに如来様の安置されている堂内に忍び込みました。

 さて如来様を持ち出そうとした所が、何しろ七・八十貫もあろうという石彫りの如来様なのですから、そう軽々と持ち出せる筈がありません。それでも欲に目の眩んだ一心に「うんとこしょ。」「うんとこしょ。」と、満身の力をこめて担ぎ出しました。天罰がすぐそこに待っていようとも知らず・・・・・

やっとの事で前の道まで担いで来ましたが、重さは重し、おまけに闇夜の事とて、足元も分らず、「あっ」という間もなく物につまづいて
転びました。これが運のつき、とうとう七・八十貫もある如来様の下敷となってしまいました。そのとき如来様の御神体も二つに割れてしまいました。翌朝村人が見つけて大騒ぎとなりましたが、結局如来様は割れた御神体を重ね合わせて、現在の位置に安置申し上げたのだそうです。如来様の下から押しつぶされた彼の人が発見されたのはいうまでもありません。因果応報とでも申しましょうか、悪には悪の報いがあります。
 それから幾星霜を経た今日、一升団子を供えて御霊験をとなえたその昔を偲ぶよしもありませんが、あの石の如来様が、重ねられた御神体をそのままに、子供達の遊び相手をしております。
 しかし、その当時の事を知ってか、時々線香を上げる者、願かけに来るものがあると見え、如来様のお膝元を黒く焦がし、あるいは又女の人の黒髪などがあがっていることがあります。