十、正六不動院の祈祷(しょうろくふどういんのきとう

今から、ざっと四百年ばかり昔の事でした。
正六と言う土地の人々は、不思議な力を御持ちの不動様を信仰しておりました。人々は余りにも、あらたかな御不動様の霊験を広く世の人々にも伝えて、ともに礼拝し、御力にすがろうとして、御尊像を安置した一つの小さなお堂を建てて、祈祷所と致しました。堂守も出来ました。人々は木の香も新しい立派なお堂を中心に集まっては、礼拝しました。
 礼拝は年を追って盛んになって行きました。

 ところがある時、堂守に占いの上手な人が出ました。家相人相さては紛失占いなど、実によく当たるのでした。次第に噂は他国にまで響きましたので、思わぬ遠方から尋ねて来る人もあり、お堂はいつも大繁盛になりました。

 こうした事を徳川の御代には、よく一般公衆に公告するために高札をたてたものでした。高崎藩でも色々多くの高札を辻々に建てたものでした。どうした理由か?ある時その高札が次から次へと何者かに引き抜かれ、持ち去られるのでした。役人達は藩の名誉にかけてもと躍起になって捜査しましたが、何の手掛りもなく、高札の行方も知れませんでした。

遂に役人もこの御堂に来て、不動様の祈祷占いをして貰うことになりました。占いによれば高崎の西北、君が代橋下にあるとのこと、
役人は、それっと、走り調べると、まさしくその高札が見出されたと言う事です。
 それ以来、御代を重ねること数代、明治九年の改正に至るまで祈祷占いは続いたと言うことであります。
 星移り年も変りて今はその面影だになく、只七つ、八つの石塔がそのかみの堂守の御墓と思われるのみであります。

 (因みに、今その地は須永某氏の所有になっているとの由)