二十二、太鼓橋(たいこばし)

話は徳川の昔にさかのぼる。享保三年といえば紀元二千四百六十三年で今より百三十年前の頃である。
 その頃でも倉賀野の宿は随分繁昌していたと言われている。
 エイホーエイホー駕籠が行く、道中笠の旅人の群が幾群となく過ぎて行く、こうした旅人を相手にした商売が軒を連ねて賑わっていたのである。

 この賑やかな宿に相応しくないものは宿の中程に架けられた、みすぼらしい土橋の姿である。大水の出る時など、いつも流されてしまうのであった。
 宿場の傾城達の美しい拠金によってこの土橋を立派な橋に改築しようという事を、時の道中奉行の殿様に願い出した。
 
 その頃は傾城の数も二百人になろうと言う豪勢さであったという。
 御奉行様は大変お喜びになってすぐお許しになった。
 お江戸の名高い石工で江戸太右衛門と言う人の手で石橋の工事が始められた。

大正9年(1920年)の宝蔵橋(太鼓橋)

その頃にない大工事で八月には立派に完成した。これが太鼓橋である。当時の人々はメガネ橋ともいって、中仙道の数多い橋の中でも二つしか無いといわれた程立派な作りであった。

それから星移り月変って百三十余年。

 今残っているものは後に架け替えられたものであるけれども、橋台石積みの一部には当時の面影が僅かに跡を留めている。

太鼓橋