二十九、塚の越(つかのこし)

   倉賀野が繁華であった頃には、この附近の村人は物の大小を問わず、よく買い物に出掛けて来たといわれます。特に町の北にあたる矢中、中居の方からは相当繁く通っていた様です。

 この中に多造さんと言う大変剛胆な人がありました。どんな事にも驚かないし、人の嫌がる事でも平気でするし、強いて危険な所などへ入って見たりして、この人のなす事は、全く普通の人から見れば乱暴とも言いたい程、無茶な事をする人でした。こんな様ですから、夜など遅く酒を呑んで帰る事は決して珍しくはなかったそうです。

この方がよく倉賀野へ往復する途中に、ちょうど倉賀野と中居との村境に「塚の越」と言う小高い塚があります。
 ここに狐が棲んでいて、往来の人をよく化かすとの事です。
 多造さんは、こうした事を聞いてはいたが生来向う見ずの乱暴者でしたから、わざとその塚の近くを通って見なければ気が済みませんでした。

 ある夜多造さんは、遅くなってから一杯機嫌でこの塚の所へ差しかかりました。昼間でさえ気味悪く思われた所なのに、よるの夜中、いかに一杯機嫌とはいえ、物好きな多造さんです、ここへ寄り道をしたくなってしまいました。
 そして細道へ入りました。するとその細道の端に秋刀魚が行儀よく並んでおりました。
多造さんは「ははあ!これはきっと狐の大将が並べて置いたに相違ない。」と、言いつつ、ぐいと手を伸ばして秋刀魚を掴むなり、「化かせるものなら化して見ろ。」と、頭だけ残して、皆食べてしまいました。

 その夜は何の事もなく帰って来ました。
そうして家の者には勿論のこと、近所・隣へまで「狐の大将を俺が化かして秋刀魚をみんな食べてきたぞ。」と、ふれ歩きました。

それから二、三日たったある夜のこと多造さんは又この塚のところを通りましたが、どうした事かその夜は秋刀魚どころか何もありません。「狐の大将を化かしてやろうとおもったが今日は先逃げされたかな。」
こういって少し歩き出しますと自分の足先二、三尺の所に古い帽子が落ちておりました。「こんなものが。」と、たちまち蹴り上げ様とすると、もぐもぐと前へ動きます。「こん畜生!。」早くも知った多造さんは近くにあった生木をねじ切って、その帽子を追いかけました。多造さんが一足出れば帽子も又一足分前へ出ます。

十間追えば十間逃げ、百間追えば百間だけ遠ざかります。遂に多造さんは一晩中、桑畑と言わず、野道と言わず、ばら薮の中堀

の中、つまずいては倒れ、起きてはつまずき、手や足からは血まで流して追い回したが、どうしても追いつく事が出来ません。もうすっかり疲れきってしまった多造さんは暫く休む為に近くの家へ入りました。どこの家ともつかないが、中は真暗でした。
 そこへ身体を半分程突っ込んだ時には、何もわからなくなってすっかり参ってしまいました。

村の方では、多造さんの家では勿論のこと、近所の人々までが、何時になっても帰って来ないので大変心配をし始めました。
 その夜も明けたがまだ帰らないので幾人かの人達が、この塚の越の所まで見付けながらやって参りました。すると、多造さんは塚の越の狐の穴へ頭を突っ込んで一生懸命あやまっているではありませんか。
 多造さんが家だと思って入ったのは、この狐の穴なのでした。流石に剛胆な多造さんもこれにはすっかり閉口してしまったと見え、それからは大変おとなしくなったと言う事です。