三六、狢山(むじなやま)

倉賀野を岩鼻へ通ずる今の砂利線から中仙道へかけてのあの附近一帯は、明治その初め頃までそれは物凄い薮つづきであった。その砂利線の近くに石の戸棚と言うのがあり、その昔藤原の某(なにがし)という者がここに住居していたといわれている。
その人も何時しかいなくなってその後はいたずらに狐狸の棲家となった。所がここは非常に人里にも遠く昼尚薄暗い陰気な薮の中でもあった為、誰一人として訪れる者もなかった。
 その某のいなくなってからは殊に貉が人に化けて、時折は道行く人をかどわかし悪戯などをするというので、誰いうとなくそこを貉山(むじなやま)と呼ぶようになった。
 そのまま明治の世に入りこの砂利線に鉄道が敷かれる事となった。
 今の高崎線である。この鉄道を敷くに就いて石の戸棚である貉山も、次第に取りこわされ遂にこの戸棚に住む貉山の貉は、一声高く鳴くと共にどこともなく飛び去ったという事である。
 この辺には史跡もあって多くの塚があり、砂利線のすぐ東に当たっては大應寺という相当の寺があった。それ故に今も尚大應寺の名前を地名として残し、この付近の田圃や畑を指して大應寺田圃とか大應寺畑とかいっている。こうしたゆかり多い倉賀野町の言い伝えを果たして町の人は何人知っているだろうか。