三、一本杉
天下麻のごとく乱れた戦国の世も、元和な春と共に世は太平を謳歌する時代となった。
甲阪新之助は、とある旗本の嫡男に生まれた。父は旗本八萬騎の四天王の一人として多数の部下を統率す
る身であった。その性質は謹厳そのものの古武士、大阪夏冬の陣に其の名をうたわれた勇将にて、暇ある毎に語り聞かすは当時の武勇伝であった。新之助の生みの母は早逝した。父は後添を貰った。後添には一人の娘がいた。名を桃千代と呼び母子は新之助と晴れて夫婦になる日を楽しみにして待っていた。
しかし、運命は皮肉にも新之助の心は、いつか許婚とは反対な邸の門番の娘
お露にあった。「忍ぶれど色に出にけり我が恋は、物や思ふと人の問うまで」いつまでも知れずにはいなかった。桃千代を通じて継母に、継母より父へと知られた。如何に弁解したとて名ある旗本の嫡男の身が、いやしき門番の娘などと・・・・・・・・清廉潔白の士を以って世に聞こゆる父に許され様もない事を知った二人は、或る夏の夜両国大花火を期して姿を消した。
行く先はかねて便りに薄ら記憶の老女中、お藤の余生を送る上州碓氷の坂本宿であった。江戸を出てから夜に日を次いで武州熊谷も過ぎ、本庄にたどり着いた。何の用意とてない上に御苦労知らず働く能なき二人には、それは此の世ながらの生地獄であった。折しも豪雨降り続き、河という河は未曾有の増水となった。船賃とて持たぬ上に、江戸から追手が迫ってくると聞いた両名は、どうしても此の川を渡らねばならなかった。
ある夜、浅瀬を見付けて川越しをした。
だが不幸にも足はすべって河中に・・・怒り狂う荒波の中に!明くる朝河岸近くの河原に多くの人が集まっていた。近寄って見れば何と互いに胴を結びし男女の溺死体であった。然も可憐にも女の体には新しい肉塊の動きさえ見受けられた。
純朴な村人の目には涙を流した。やがて二人のために河岸近くの高台に比翼塚が建立された。両親も江戸より駆付けた。この二人のいじらしさに肉親の愛情がこみ上げてきた。一切を許して立派な塚が立てられ、その上に二本の杉が植えられた。
一本は大きく一本は小さくとは優しい村人の心遣いの表れであった。
ささやかながらも石塔も立てられた。よくそこには訪れる人の供えた、だんご草花の供養も見出される。その辺を荒神山と云い、人々はあの杉を荒神山の二本杉と呼び慣らした。それから荒神山はただ荒れるに委せられて狐や狢の巣くう荒山となった。
星移り年も幾度か改まって明治となった。さしも荒れに荒れた荒神山一帯も文明開化の叫びと共に、次第に開墾され田畑となった。
荒神と名づけた田も出来た。だがどうした理由か、水田の水掛りが悪い上によく人々が怪我をする。又その田を耕すものの家には必ず不幸が見舞うとさえ云われた。人々は古老の言に従って二人の供養塔を立てて懇ろに弔った。それ以来悪い事もなくなったと人々は喜んだのである。
植えた二本杉は年を経て、すくすくと青天に聳(そび)える大木となった。ある年雷が落ちて一本が真二つに割れてしまった。幸い枯れはしなかったが、その空洞になった所に、時々乞食どもが集まって火を燃やしていた。
或る冬の朝、村人達は怒って追い出したが、すぐに又集まってきた。遂に一本は枯れた、だが抜目のない乞食どもは、他の一本にも空洞を見付けて、相変わらず火を燃やしていた。訪れる人々はその一本杉の根元に黒くこげた、むごたらしい痕跡を見つけて、風雨幾星霜に曝されて立つ梢を、深い感慨を以って眺める事であろう。
☆現在、一本杉は倉賀野緑地帯入り口附近に塚として残っており、近くに有る道祖神には今もお供えやお花を手向ける人が後を絶たない。
縁結びの効用もあるとか・・・。