二、御手洗の池

昔々、 神天皇様の御子に豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)、
活目入彦命(かつめいりひこのみこと)の御二方がありました。
 御二人共大変お賢い方でしたから、天皇様はどちらのお方に御位をお譲りしたらよいかわかりませんでした。
 そこで天皇様はお二人のお夢によって後継をお定めになろうとなさいました。

 その晩、お兄様の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は、三諸山(みむろやま)に登って三度槍を取ってお突きになり、また太刀をお振いなさった夢を  御覧になりました。
 また御弟の活目入彦命(かつめいりひこのみこと)は三諸山に大きな網をはって、澤山の雀をお捕りになった夢を御覧になりました。そこで天皇様は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)には東国をお鎮めになる様、また活目入彦命(かつめいりひこのみこと)は、天皇の御位を承継がせられる様に仰せになりました。天皇の御命令をお受けして、豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は東国にお向かいになりました。そしてこの倉賀野の地にお出でになりました。

 大国魂命(おおくにだまのみこと)から戴いて来た御石を置かれてお腰をかけてお休み遊ばされました。

 その記念に松を御手植えになられました。その後御手を洗われようとなされましたが、あいにく水がありません。これは弱ったと、お考えになって辺りをお見廻しになりましたが水はありません。腰かけていた
   
石を動かしなされると、これは不思議、ぽこんと凹んで水が湧き出ております。命は大変およろこびになって御手をお洗いになられました。
御手植の松はすくすくと伸びて千枝萬枝の枝葉をわけて天にも届く様になりました。その後お手洗の池は淵がかけ、土堤が崩れて大へん大きな池になりました。池には藻が生え、周りには草が生い茂り物凄い魔の池の様になりました。

絵

その中に何時の間にかそれはそれは不思議な怪物が棲む様になりました。体一ぱいに毛が生えていて、目は煌々と輝き胴は龍に似て顔は大猿の様な怪物でした。そして、一陣の生臭い不気味な風がすうっと起こり、ざわざわと水煙が立つかと思うと怪物は物凄い勢いで現れます。
そして附近の人々を大変悩ましました。誰かこの怪物を退治る人はないかとそればかりを待ちあぐんでいました。
この時、飯玉八郎という人が現れて、遂にこの怪物を見事に退治してしまいました。

八郎は池の側にあった豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)が、大国魂命(おおくにだまのみこと)より戴いて来た玉石の陰に身を
隠して怪物の現れるのを待って斬り捨てたのでした。怪物が姿を消してから倉賀野の町は元通り穏やかになりました。

八郎の怪物を退治ることの出来たのも玉石の御蔭でした。
「玉石が倉賀野町を救ってくれた。玉石は倉賀野の守り神だ。」と、皆口をそろえて言いました。そこでこの玉石を御神体として神社にお祀り致しました。この石は亀石とも言って亀に似た形をしております。

 御手洗の池は、また怪物が現れては大変と人々が相談して池を埋立てる事になりました。しかし豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の御手洗の池を皆埋立ててしまうのも惜しいというので、少しばかり池を埋め立てずに残しておきました。
   
これが神社のすぐ東の面積二坪程の池であります

池
結界
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御由緒

起源  今から二千年の昔、第十代崇神(すじん)天皇の御代、国中に悪疫が広まり、帝(みかど)は倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)に祈願してようやく国家の災厄を鎮めることができた。
     やがて皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は父帝から東国の平定を命ぜられる。そして出立のとき、帝から御愛石(大切にしていた亀形の自然石)を授けられた。
     社伝によれば、豊城入彦命は陣中すなわち今の境内に松樹をお手植えになり、都から捧持してきた亀石を御霊代(みたましろ)として祭祀をおこなわれた。この石は倭大国魂神の御分霊と伝わり、「御神体のクニタマさま」として今も御本殿に奉安される。
悠久の歴史  大同2年(807)、坂上田村麿が東征凱旋の途次に造営舞楽を奏上。神社に伝わる社宝「翁面」はこの故事に由来するという。『上野国神名帳』に正五位上大国玉明神とある。近隣一帯は神社にちなんで「宮原荘みやはらのしょう」とよばれた。
     建長5年(1253)倉賀野氏の始祖倉賀野三郎高俊が社殿を造営。以後、倉賀野氏の氏神として社殿の建替、修復が繰り返された。倉賀野氏は武蔵七党とよばれる武士団の一つ児玉党の余流で、烏川北崖上に要衝・倉賀野城を構えた。至徳3年(1386)倉賀野三郎左衛門尉盛勝社殿建立、長禄2(1458)倉賀野三河守行政社殿建立、永禄2年(1559)金井淡路守社殿修復。
     江戸時代は中山道倉賀野宿と近隣七ヶ郷の総鎮守として崇敬を集めた。旧社名は飯玉(いいだま)大明神。延享4年(1747)御本社造営。寛政元年(1789)御本社修復。現在の社殿は、元治2年(1865)3月に上棟式、翌慶応2年(1866)9月に遷宮式が行われたもの。 明治10年大国魂神社と改称、同43年に近隣の数社を合併して倉賀野神社と改称した。)今日も地馬郡から高崎市に編入合併となり、このとき宮原町は旧倉賀野町から分離新設され域屈指の古社として参拝者が絶えない。

(倉賀野神社様ホームページより引用)

神社

倉賀野神社様

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