十二、九右衛門火事と天狗
「信仰には不思議な霊顕(れいけん)がつきものである」
今は昔、安政二年春三月、倉賀野町が火災にあって、見る影もない焼野ヶ原と化した事がある。人々は、百姓九右衛門の宅が火元だというので、九右衛門火事と言い伝えている。
時もあろうに、ちょうどお彼岸の中日。
「火事だ!」と、叫ぶ声は人々を恐怖のどん底にぶち込んだ。ただでさえ風があったのに、火事場に巻き起る風は、うなりを呼んで物凄く。悪火とでも言うのか火勢ますます強く、見る見るうちに広がって全く手の下し様もない。
女子供の泣き叫ぶ声、人畜の傷ついてうめく声、この世の声とも聞こえず、火炎地獄さながらの有様であった。
今も尚、一丈も深い古井戸の底から掘り出される下駄、枕、はては神棚に供える御燈明台など、数々の焼け残りの品を見ても、そぞろ当時のむごたらしさを想像する事が出来るのである。
ここにあまりにも不思議な言い伝えがある。
この猛火に遭い、全町ことごとく舐め尽されたというのに、只一軒・・・・
それはちょうど関東大震災の折の浅草の観音様のそれのごとく、ポツンと焼け残った旧家があった。
古老はこの不思議を、こう伝えているのである。
この荒れ狂う猛火の中に、どこからともなくスーッと姿を現した、見るからに崇高な大天狗!
その旧家の庭先に植えられた楓の老木から樅の大木に、そして屋根の棟へと跳び移って、じっと炎々の虚空をにらみ、形容の出来ない興奮の中に、防火よく勤めたとでもいうか、口に法文を唱えていたと言う。
さしも暴威を極めていた猛火も、翌朝になって静まった。静まったというよりは、むしろ焼くべき何物も無くなったと言う方が確かだ。
この猛火の狂態!焔魔の戦慄の中にあって、焼け残った旧家に集まるとりどりの噂!天狗を目撃したという人々は「あゝ」あそこの家の方々は、古峯様(こぶさま)を常に信仰しているので、古峯神社の天狗が来て助けて下されたのに相違ない、きっとそうだ・・・・・・と、焼けだされた惨たらしい恐怖と悲しみの中にあって、まざまざと見た記憶の底から甦って来る慈悲の姿にただただ打たれていたと言う事である。
その折、屋根の棟に残した大天狗の爪が、今も尚、この旧家の宝となって保存されているとか?
「信仰には不思議な霊顕がつきものである。」と再び言いたい。
著者はこの旧家を尋ねて見た。
そして不思議な先祖からの言い伝えだと言う話を尚も聞いた。
「私の家の庭に樅の古木がありましょう。先祖の頃は、毎年は初幟(はつのぼり)をこの木に立てたのだそうです。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「するといつの間にか、この初幟が無くなって、その都度不思議に、古峯神社に納まっていたとの事です。」
「はは---------」
また、ずっと前の先祖が、永の病魔に冒されて、死も全く時間の問題となって、家中の者も既に諦めていたある日、最後の神頼みとでも申しましょうか、この家の老婆が手燈(てあかり)といって、手の掌に油を注ぎそれに芯を燃して、何かしきりに口の中で唱えていたそうです。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「すると折から月光に照り冴えた空の背景に、くっきりと鮮やかな映像を作って、天狗様が現れて、ジーッとこちらをにらんでいる様子。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「にらんでいたと言うより、慈悲に輝く眼であったのでしょうか?ところが不思議や、天狗様が姿を消された頃、死に直面していた大病人が、手の掌を返す様に急に元気づき、数日の後には全快して、内祝いまでも出来る様になり、吉日を選んで古峯様に礼参りの相談も運ばれていたとの事です。」と話して下さる方も奇異に打たれて、語って下さいました。
怪奇と言うか、不思議と言うか、このあやかしの物語に登場する楓、樅の老木。ついこの頃まで道行く人々に、その上の出来事をそっと話しかけていたと言う。
(この旧家こそ須賀某と言う温厚篤実な医師の家である。)
古峯神社 〒322-0101 栃木県鹿沼市草久3027
電話 0289-74-2111
FAX 0289-74-2539
http://www.furumine-jinjya.jp/