十三、馬頭観世音(永泉寺前)の由来
今を去る百五十年前、天命の頃上州倉賀野在に、徳兵衛さんというお百姓さんが住んでいました。
徳兵衛さんは大変熱心なお百姓で、毎日毎日精を出して働きました。そしてお金がたまるのを楽しみにしていました。徳兵衛さんには只一つ欲しくてたまらないものがありました。
それは外でもありません。一頭の馬でした。徳兵衛さんが毎日毎日一生懸命鍬を振るい金のたまるのを楽しみにしていたのは、この為でした。やがて幾年か経ち、徳兵衛さんは、沢山なお金がたまりました。
そこで欲しくてたまらない馬を一頭買い求めました。これから後は田圃や山へ行く時は、必ず可愛い馬をつれて前よりは一層一生懸命働きました。
それはある冬に近い秋の朝でした。愛馬を連れて真白に霜を置いた野道を、徳兵衛さんは山へ急ぎました。山へ着くと、楢の木に馬の手綱を結び自分は谷間へ薪を切りに下りました。徳兵衛さんが谷間へ下りた留守に、近くの杉の森で狼が「ウオーウオー」となきました。
心根のやさしく驚き易い馬は、耳を立てて「ヒヒン」といななきながら谷間にいる徳兵衛さんの所へ行こうとしました。すると急に何かにつまづきました。起き上がって駆けるとまたつまづくので「ブツリ」と手綱が切れてしまいました。向こう見ずの馬は主人を慕う一念から自分の危険も知らず、谷間を一目散に駆け下りたので、止まろうと思っても駄目でした。更に運の悪い事には下には三丈もあろうと思われる絶壁があります。
「ヒヒンーヒヒンー。」と、悲しくもまた淋しい声を全身から振りしぼっていななき続けながら、可哀想にも、谷底深く落ちてしまいました。
薪を切るのに余念のない徳兵衛さんの耳に、この哀れな馬のいななき声が入らぬわけがありませんでした。
徳兵衛さんは手にしていた鉈も薪も、ほうり出し、倒れている馬の所へ駆け付けました。
しかしその時遅く無残にも馬は、既に息絶えていました。自分の子とも頼んで、仲睦まじく毎日毎日働いていた馬に死なれたのですから徳兵衛さんは、声を上げて泣きました。可哀想に一週間も徳兵衛さんは馬のそばを離れ様ともせず、泣き悲しみました。
徳兵衛さんの余りの悲しみは、慰め様もありませんでした。やがて村人は一つには徳兵衛さんの心を慰め、二つには馬の魂を慰める為に、寄付金を募り、「馬頭観世音」を建てました。
この事があってから、幾十年馬の病気や怪我について祈願をこめると、不思議に御利益があるという事です。