伝説之倉賀野

皇紀二千六百年 伝説之倉賀野 (昭和十五年十一月五日発行)

編者 徳井敏治氏は、昭和八年から十六年まで倉賀野尋常小学校(現・倉賀野小学校)の校長先生をお務めでした。その後も北支大同日本国民学校の学校長、多野群八幡村や水上町の教育長を歴任されました。先生が、誰からも慕われ尊敬されるお人柄であったことは、先生の没後に発行された『徳井敏治 追悼集』からも良くわかります。


 この『皇紀二千六百年 伝説之倉賀野』は、徳井先生が倉賀野小学校在任中の昭和十五年に「皇紀二千六百年記念事業」として倉賀野城の伝説を調査し編集されたそうです。「伝説は我々の祖先の尊い宝物であり、我々はこの残されし宝物を健康に育てあげる責任がある」(序文より)と自ら伝承を尋ね歩き、歴史ある倉賀野の町の伝説を後世に残そうとご尽力されたということです。
 当時は戦争へと向う混沌とした折ではありましたが、人々はおおらかで、高い理想と責任感と大いなる志を持った倉賀野尋常小学校の教育者の方々は、毎夜遅くまで議論をされ、その議論は翌日の授業で実証されました。その議論の中に徳井先生が入るといっそう議論は高度になり楽しかったと追悼集に書かれておりました。夜遅くまで議論と研究を重ね、先生方が提灯を灯して帰るので、倉賀野尋常小学校は提灯学校と揶揄されたそうです。そのような教育環境の中でこの『伝説之倉賀野』は綴られました。


 そして昭和四十九年、大山正明氏・大山達郎氏によって復刻版が発行されました。
『時が流れ、倉賀野を取り巻く様層も、住む人も変わってきたけれど、ふるさとをもつ人間がふるさとを愛する気持ちは何処にいよと、いつの世でもかわることはない。人はいつか自分が歩いてきた人生を振り返り、ふるさとへ郷愁を馳せる。(中略)
 この本は倉賀野で生まれた人も、新しく住んでいる人も現代人が忘れかけている何かを思い起こさせてくれることと思う。そうした願いをこめてこの本を復刻した次第である。』        
(復刻版「発行にあたり」より抜粋

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