十八、田子屋の獅子
「お獅子」を知っているでしょう。あの笛や太鼓に合せて身振り手振り面白く舞い狂う獅子舞は昔と言っても、明治の始め頃より田子屋にあったのだそうです。
ちょうどその頃、大江戸を荒した恐ろしい疫病が次第に広がって、とうとうこの倉賀野の町にもおよんで来ました。
まだ世の中の進んでいない頃、よく「ちょんまげ」を結んで往来を通る頃のことですから、もちろん、医学や衛生が進んでいるはずがありません。ですから町の人々はどうする事も出来ません。
今日は上町の誰々、今日は下町の誰々と死亡した人の名が次々と伝わって、人々の心を暗くするばかりでした。人々は固く表の戸を閉じてただただ神や仏に祈ってばかりいるのでした。町人の顔色には生き生きした色も見られず、町全体には死の影がつきまとい暗黒の気が漂うかの様でした。
この時、田子屋に五作さんと言う物知りの爺さんが「こんな時には、あの獅子舞をして、人々に元気をつけ、また獅子犬王のお力にすがってはどうか?」と、発起しました。
人々はもちろん「こんないたずらの様な事で、どうなるものか。」と、思いましたが、この場合、他に何の方法もありませんでしたのでその言葉に従う事にしました。
その日が来ました。田子屋の人々は早朝より勢揃いして準備を終えて、田子屋区域中を一軒残らず舞狂い、土足で勇ましく、他人の家まで上って悪魔払いを夕方まで行いました。人々の心は神仏にすがる心のほかに、強い何者かが乗り移った様に、光明が照り輝きました。
その為か、あれ程猛威をたくましくした疫病も、ついに田子屋には少しもはやらず、一人の病人も出ませんでした。
それからと言うものは、年に必ず一度ないしは二度ずつ出して、古式にのっとて舞うとも聞いています。
この風習が今の世にも及んで時々町の祭りの時などに獅子舞を致しております。
一説には、この獅子舞によって雨乞いをすると不思議にもよく雨が降ったと、言い伝えられています。それ故に四月とか十月の獅子舞の常例のほかに、臨時に、雨乞いの為に舞をすると言う事です。