七、梅の木と草鞋
加賀のお殿様と言えば百萬石のそれはそれは偉いお殿様でした。この加賀様に仕えていた飛脚がありました。
加賀の国から今の東京、即ち昔の江戸へ、又江戸から加賀の国へお殿様のお手紙を持って行って、急なお使いをするのが役でした。
加賀から江戸迄と言うと3百キロもあります。汽車や電車、自動車といった乗物は一つもない時でした。「ほい かごほいほい かごほい。」と、言って通るお駕籠くらいが何よりの乗物でした。歩いて行けば五日も六日もかかるのが普通でした。
ところがこの飛脚は大変足の強い人でした。人々が競争しても、あれよあれよという間にとつとつと遥かに抜かれてしまうのでした。
身体の軽いことはちょうど犬や猿の様でした。飛鳥の様に脱兎の様にすぎ行くのでした。そして此の長い道中を三日で行くという程でした。
人々は皆この飛脚の脚に驚いたり羨ましがったりしました。どうした事か、この飛脚がお殿様の御用を受けて江戸へ行く途中不幸
にも病の為に倒れました。そしてその亡骸は高橋に程近い梅の木に葬られたのでした。
この後、人々はこの飛脚を讃えて、この墓に草鞋(わらじ)を供えて祀りました。人々が草鞋を供えて祀ると、きつ度強い脚を持つ様になったとの事です。それで今でも草鞋を上げて、それを祀り脚の丈夫になる様に願っています。現在あがっている草鞋はその為です。
一説に云う、
それは飛脚ではなく身の丈6尺もある巨人で倉賀野江戸間を日帰りにした。ある時現在の梅の木附近を通りかかりその辺に巣食う沢山の狐に魅され、発狂して切腹した。その場所に石碑を建てて拝んだところ、不思議と足の病が治ったので、その後参拝する者も多くなり、草鞋を上げて拝む様になった。
その人の名を茂衛門様、又は梅の木様と云った。その名が残って現在そこの土地を梅の木と云うのだそうです。