二十七、頭を坊主にする狢
狢がよく人を化かすという話は、随分多く聞いております。
お湯のつもりで肥溜の中へ入った話や、饅頭だと思って馬糞を美味しそうに食べていた等、随分滑稽なことです。
「こんな馬鹿らしい話があるものか。」と、言うそばから、その人がまた狢に化かされていた等全く皮肉なものも有ります。
これに似た伝説が、ここ養報寺の狢にあったのでした。この伝説はむしろ矢中とか中居と言った他の近村の人達によく言い伝えられているのです。
さて一体どんな伝説でしょうか。
その昔、養報寺にも狢がおりました。この狢は人を化かして、頭をぐるぐる坊主に剃ってしまうと言う不思議な狢でした。そしてまた限って人を化かすというので、人々はこの狢の事について、次の様に言っておりました。
「養報寺狢には必ず化かされる事になっているのだ、もし化かされないとしたら、化かされない者の方がどうかしておるのだ。」と、そして困ったことには化かした後で、必ず頭の髪を剃って、つるつるにしてしまうのでこの養報寺近くの道などを、夜遅くなってから通る者は、全く無くなったと言われます。
ところが、ちょうどこの頃、矢中の若い者が何人か集って度胸試しをやろうと言う話を持ち出しましたが、自分達の村には度胸試しに適した所が無かったので、色々考えた末、「それでは、倉賀野の養報寺の側を通って油揚げを買って来る事にしてはどうか」と、言い出す者がありました。「それは面白い、よかろう。」と、早速相談がまとまりました。
その夜も十一時を過ぎておりました。
一番先に当ったある若者が、「何事があるものぞ。」と、元気よく出掛けて行きました。集った他の若者は、帰って来る迄、色々と雑談にふけっておりました。
さあ、出掛けて行った若者は、難関養報寺の側も無事に、倉賀野町の下にあったある豆腐屋さんへ参りました。
ところが、どうしたことか、ここでは家中の者が乱れ合って大喧嘩の真最中です。若者は仲裁しようと思ったが、手の出し様もありませんでした。目的の油揚も買うことが出来ないで、止む無くそのまま帰って参りました。ちょうど若者が養報寺の東へ差掛かると、後ろの方から息せききって走って来る者があります。
頭の毛を振り乱し、取る物も取り敢えず、その慌て方は並大抵では有りませんでした。よく見ると、今豆腐屋で大喧嘩をしていたおかみさんでした。おかみさんは、若者の側近くへ来るなり「助けて」と、叫んで肩へ跳びつきました。ところが跳びついて間もなく気を失ってしまいました。若者は驚いて
「これは弱った、これは弱った。誰か来てくれないかなぁ。」と、一人呟いておりますと、そこへ下町と書いた提灯を持って、五,六人の若衆がおかみさんの後を追う様に走って参りました。若衆はここに立って困っている独りの若者を見つけて、
「あなたは今ここへ来た筈のおかみさんを御存じありませんか。」と、問いかけました。
若者が返事に困っているうちに、早くも倒れていたおかみさんを見つけた一人が、「あ!ここに死んでいる、お前が殺したのだろう。」と、言うと、他の若衆も口を揃えて「そうだ、お前が殺したのに相違ない。」と、言うのでした。若者は、何の係わり合いもない一部始終を語って弁解したが、若衆は何と言っても聞き入れません。遂には腕を握って引っ張り始めました。そして下町へ連れて行くと言うのです。
若者は出来るだけの大声で
「わしではないわしではない、手を離せ手を離せ。」と、しきりに怒鳴りました。
この大声に驚いて養報寺の和尚さんが出て参りました。和尚さんは、争い合っている双方の間に入って、両方の言い分を聞いた上次の様に言いました。
「何としてもこの夜中に、若者一人でこんな所へ来ているというのがおかしい。仮にお前が殺さなかったとしても、そう怪しまれても仕方が無いではないか、ここで人が一人死んだとなれば、いくらお前が知らぬと言ってもそれでは過ごされない。わしが下町の若衆へはよく謝ってやるから、お前は今よりわしの弟子になって罪滅ぼしを致しなさい、昔から寺入りをすれば皆罪がゆるされている。さあわしと一緒に寺まで来るがいい。」と、言って、和尚さんは、その若者を連れて寺へ入って行きました。
寺の中へ入ってから和尚さんは、また若者に向って言いました。
「お前も今からわしの弟子になるのだ、寺へ入れば勿論頭を剃らなければならない。さあお前の頭を剃ってあげよう。」
こういって若者の頭をたちまちツルツルに剃ってしまいました。
矢中の方では、何時になっても出て行ったきり帰って来ないので、ようやく騒ぎ始めました。
「さては化かされたか、いやそれに相違いないぞ。皆して迎えに行って見よう。」と、相談が纏まって、皆提灯をつけて出掛ける事になりました。矢中を揃って出る時はまだ真っ暗であったが、あの大きな土手の近くへ来た頃は、夜もほのぼの明け初めて参りました。
「あれが養報寺の森だ、きっとあの森の中へでも連れ込まれているに相違ない。」等、歩きながら話し合って来ると、土手の向こうで「オーイ、オーイ。」と大声で怒鳴っている者がある様です。
「何だろうあの声は?」不思議に思って土手へ上って見ると、そこにはツルツルに青く剃った頭を振り立てながら一人の男が、腰丈以上も深い堤の水に入って、それはそれは勢いよく縦横に押し歩るいているではありませんか。そして時々「オーイオーイ。」と怒鳴るのでした。
よく見るとそれは昨夜出て行った友でした「一体何をしているのだろう。」と、一人が言いました。すると他の一人が、
「あの頭を見たまえ、あの頭をさ。」と、言うので皆そこへ注意をして見ると、成程ツルツルの頭をしている。「やっぱり化かされたのだ、皆して呼び戻そう。」
そこで若衆達は水の中の若者を一生懸命に呼び続けましたが、何と呼んでも、どんなに大声を出しても平気なものです、相変わらず「オーイオーイ。」と、言いながら押し歩いているのでした。いくら呼んでも甲斐が無いので、ついに石や土塊まで投げつけて騒ぎ立てました。
その後も暫く押し歩いていたがようやく疲れ切ったと見えて、段々静かになって参りました。そして堤の端に来た時、待ってたとばかりに掴んで水から引き上げました。土手の若衆は色々苦心した挙句、ようやくの事正気にしたが、頭のツルツルだけはどうしても取り戻せなかったと言う事です。
後になってから、おかみさんの死んだと言う場所へ行ってみたが何の事もなく、また豆腐屋さんへも行って聞いたが、「喧嘩どころか昨夜は早寝でしたよ。」と、いうのでした。
「では、養報寺へ行って見よう。」と、揃って、出掛けました。勿論養報寺だって知っている訳がありません。
一同が村へ帰ってから、この事を話しますと、「そうだよ、あれにはやられますよ。」と言っていたそうです。
ムジナ(貉、狢)とは、
主にアナグマのことを指す。
地方によってはタヌキやハクビシンを指したり、これらの種をはっきり区別することなくまとめて指している場合もある。